前途有望の書

明るい心持ちでいたら明るい未来が待っているハズ

歌もしくは歌声で癒される

お経も祝詞も歌ですw


八代亜紀 さすらう魂を癒す


八代亜紀さんだったと思うんだけど、
「日本各地の 成仏できていない彷徨う魂を癒してあげたい」
こんな風な意味のことをおっしゃっていた気がする。


演歌歌手の方とかは地方でのお泊りも多く宿屋さんで「でる」こともある、ってなハナシの延長だった気がする。



うーは 聖歌の思い出


田舎から都会に転校して
転校生いじめ的なものもあったが(黙っていじめられてはいないがw)


やられたっ!しまったっ!と思ったのは
ピアノ経験者であることを知られ「音楽係」的なものに組み込まれ
伴奏や指揮など強制的な奉仕!?のメンバーにされたこと。
音楽の授業では先生の助手的なことをさせられるんだな。


校内の音楽会や 区での音楽発表会とかも いやだっつーの。
そういうのが好きな?学校だったのか、
熱心な先生がいたためなのか 「区」的に そういう盛り上がりがあったのか 知らんけど。


まあそんなことが理由になる訳もないのだけれど 小学校をサボりだしたw
「いってきまーす」と玄関を出て 物陰に隠れていて 親が出勤したら 無人の家に戻る。
戻ったからといって何をするわけでもない,


タダのサボりなんだが、気分は「体調が悪いので学校を休みました」的なモードなので!?布団を敷き 横になる。FMをつけるとグレゴリオ聖歌?っぽいものが流れている。
サボったのは「音楽」の授業のある曜日なので、FMも同じ番組の時にあたるんだな。


なにをするでもなく その宗教的音楽を聴くわけ。
荘厳なる音楽を聴いたとて 学校をサボった罪の意識が消えるわけではないんだけどね。
でも 自分にとって ある種の癒しになっていたんだろうな。



複数人数の厳かな歌声。惹かれるのは そういうところ!?から来るのかもw
ダークダックスとかも好きだけどね^^



キリスト教の某会派の修行


これまた話が脱線するけれど
キリスト教 なに会派かはわからないけれど修行として、


・聖歌
・崖を上ったりの肉体修行を含む武道


を選択するところがあるそうだ。
武道って日本でも体を使いつつも心を鍛えるイメージがあるけれど


「え?聖歌?」
と思った。聖歌で修行???
美しい歌声とメロディーでみずからの心を清め? かつ 聴く人の心をも洗い流す
ということなんですかね???


やはり 美しいものには「力」が宿るんでしょうか?



宗教的要素のごった煮


祖母はキリスト教徒(たぶんなんちゃってキリスト教徒w)なので赤ん坊のころから教会へ連れていかれ、聖書や聖歌には馴染みがある。


母は いろんなもんがくっ付きやすい人だったので!?
真言やらお経やらのお世話になる。


神社・祝詞もステキ~♪と はまる。


いっとき 一番短いお経といわれる「十句観音経」の経文を多分本屋で買ったのかな。
カセットテープに 大勢のお坊さんによる?荘厳な?「十句観音経」が入っていて、「おお~♪声の重なりがステキ」(←語彙力欠如w)などと思いながら 流し聞いていたものです。


お経も 祝詞も 聖歌も
自分にとっては キレイでカッコイイもの という位置づけなんですね。


はたから見たら 結構けったいかもwww



現代の歌い手たち


お経 祝詞 聖歌 に限らず
現代の歌い手たちの 癒し効果 元気をつけてくれる力 きっと絶大。


推し という名であれ 癒しの元ですね♪♪♪


いまの うーは の元気の素は
米津玄師 ビッケブランカ でしょうか。


ただ 早口やリズミカルな曲調は 聞く分にはいいけれど
歌う分には おばちゃんついていけない@@;


気持ちよく歌えるのは 昭和歌謡ですね???



という なんのオチ?
さあ 聴いて 歌って 癒されましょう???